コロナ渦中第一子出産
コロナ緊急事態宣言下真っ只中の5/25
我が子は生まれてきてくれた。
コロナベイビーということになろうか
嫁としては、水中出産や助産院での分娩を希望していたけど、
35歳以上になると高齢出産扱いになるので、助産院での出産は難しかった。
助産院によっては取り上げてくれるところもあるにはあるが、僕たちの住む横浜近辺では残念ながらなかったので、
クリニックにて出産となった。
水中出産も、行っているところはあるにはあったけど、横浜から遠いのもあり
近場での安心を選択したようだ。
出産するのが海外だと、子供が大きくなったら(成人した時かな?)、自分の母国を日本か生まれた国か選択できるようだ。
なんとも夢が拡がる話である。
さて
ともあれ入院するときの話をしよう。
5/25になったばかりの深夜に、布団の中で嫁が、
「あ 破水した」
とつぶやいた。
なにかがベリッと剥がれた感覚があったみたいだ。
すぐにクリニックに入院。
車を運転しながら、ついにやってくるかと感傷深かったのを記憶している。
もちろんコロナ緊急事態宣言下真っ只中なので、クリニックの玄関でもうお別れだ。
次に会えるのは、赤ちゃんが産まれて5日経った後の予定になっていた。
出産に立ち会うのが楽しみだった僕は、それが叶わないのがとても残念だった。
電話越しにその説明を聞いた嫁は、
電話を切ったのち、涙した。
この状況選んで産まれてくる我が子は、さぞかし強い子だろう。
見送ったその日の朝には、陣痛が5分おきにきていると嫁から連絡があったので、
「そろそろだな」
と感じ、家の祭壇の前で瞑想をして集中して、
多くを学ばせていただいている友人のタツさんの還元氣ワークをクリニック周辺と嫁に向けて行った。
そのあと、ネイティヴ・アメリカンの神聖なパイプにタバコをつめて祈った。
母子ともに元氣に産まれてきますよう
結果、
その日の15:50に元氣に娘が出てきてくれたのだった。
やった!
これほどたくさんの人がhappyになる出来事を、僕は知らなかった。
お互いの両親、親族、友人知人、ご近所さんに、見ず知らずの通りすがりの人。
みんな笑顔になる。
これは凄い!!
今では産まれてそろそろ2ヶ月経とうとしている。
すくすくと成長し、それと同時に僕たちも子供のおかげで成長させてもらっているのを感じてとても嬉しい。
ボクシングでは、試合で闘いながらその試合の中でお互い成長し合う事を、ミックスアップ
というが、まさにそれだ。
育児をしながら、育てられている。
共に成長していこう。
これからもよろしく。
読んでくれたあなたに、ありがとう。
祝福がありますように。
やまち。